かたちないもの〜目には見えないけれど大切なものを探して

「かたちあるもの」の中にある、目には見えないけれど大切な何かを色々な方角から、色々な目線から、思いを巡らせて書き綴るエッセイ風ブログです。

私の意志は幻影であると??

翡翠屋 お蔦

周りから

色んなヒントやアドバイスを頂いたとしても、


最後には

「私が決めて動いているんだ」

(人任せにはしないつもりという意味も含み)


と思っていたが


「未来は決まっていて

自分の意志など存在しない」


という考え方があることを知った。






今回の記事は少し長い(くどい?)ですが🤭

良かったらお目通しを。


自分の意志など存在しない??(・・?)

その物言いは、何だか穏やかじゃないなあ

真っ向から否定か???

(実はちょっと面白がってもいるけど🤭)


ざっくり書くけれど、

「意識・意志より、行動が先」

行動が先だけど、

それはすでに決まっている事に反応して

動かされているだけ


という捉え方。


❶色々なヒントやアドバイスなどの周りの

「情報」があって

⬇️それを

❷わたしが選んで決めて

⬇️それに沿って

❸動く(言動ということでもいいのかな)


と思っているけど


❷と❸は逆なんだよ〜という捉え方。


❶➡️❸➡️❷


物事は最初から決まっていて、

というか、

ざっくり言ってしまえば

あらかじめ、「そこにある」ということ。

脳みそ🧠がその影響を受けて、

私たちの身体が、

それに反射して動いているだけなんだそうな


❷の私が決めたというのは

後からそう感じているだけで、いわば

「幻影」まぼろし..🫢





え?なんだって?!


私が決めているわけじゃないの?


決めたと思い込んでいるだけらしい。※📝


(心理学にお詳しい方はよくご存知だと

思いますが、、、)


そもそも、

私たちがこうだろうと思い込んでいる世界。

五感という窓を通してしか体感できない。

以前、ちょっと面白そうなんで、

こんな体験をしたことがある。


元々はカメラやフィルムを扱っていた、

某有名会社の、

バーチャルリアリティー体験。


「ゴーグル🥽」を頭につけて、

映画館みたいな、

コンサートホールみたいな、

そういう椅子に座って、

映像を観るっていう、、


鳥のようにふわっと急下降⤵️するのとか、

ジェットコースター🎢みたいで、

胃が浮く感じがして、

これがわたし、超苦手で😅

目を閉じてしまってたっけ 笑笑


ジェットコースター🎢大好きな夫は

さぞかしフィーバーして楽しんでいたのでは?と

思っていたが、

どうやら楽しめなかったらしい(酔った)と。


要はこの「ゴーグル🥽」が脳🧠で

脳🧠を通して、

私たちは外の世界を感じ取っている。


まるで、

映写機📽️で映している作品を観ているような?

(後の記事でこの話もまた持ち出すつもりです)


だとすると、

よく言う「仮想現実」なのか??


でも、

私たちが日々過ごしている、この

「生涯」ってものが

最初から、もともと、

ここにあるもので、

(プログラムに組まれている)としても、


映像作品を観ているだけなのだとしても、


やっぱり、

「自らが選んで決めて未来に向かって進んでいる」としか思えない。


意志はない、なんて言われても

にわかに信じがたい感覚もある😅


著者の妹尾先生は、

「そう思うのも当たり前だし、アリです」

という立ち位置から唱えていらっしゃるので、

割と気楽に読んでいる。


でも、

この本のタイトルである、

妹尾先生がおっしゃる「心理学的決定論」

という捉え方から


そんなふうに考えると、

生きていく上で、

多少は気が軽くなるような、

事と次第によっては、

考えかたを変えて生きるのもアリか??


なあんて思うようになっている私。


続く.......


読んでくださってありがとうございます。


翡翠屋 お蔦


キャンドルホルダーに生けた

アロマティカス


もし気になる方はこちらもさらりとどうぞ💁‍♀️

ただ、ちょっと堅苦しいので、

もしよろしければ、、という感じで💁‍♀️⬇️


追伸:


ちょっと細かいところではありますが、

先の記事では

「自分が選んで決めて」を「意思」と記していました。

「意志」と言うほどの強さの感覚が自分の中に

なかったので、、 

意思・意志・意識、、

厳密には意味合いが少しずつ違うのですが


私が「意志」といえるほどの強い感覚が

なかったというだけで、

多少弱くてもやはり

「意志」に含まれるのかな、

と読みながら思い直し、「意志」で

通して書いてみました。


ググってみましたらこんなふうに出てきて

わかりやすかったので、そのまま

載せてみます。⬇️

🧠 ひとことで

意識は、何かに気づいている状態です。

意思は、どうしたいかを決めるはたらきです。 

(dictionary.goo.ne.jp)


わかりやすい説明が

たとえば、雨の音に気づくのは意識です。

そのうえで、傘を持って行こうと決めるのが意思です。 (dictionary.goo.ne.jp)


📚 補足


なお、似た言葉に意志があります。

一般には、

心の中の強い決意という意味で使われやすく、

意思は意向や判断を表す場面で使われることがあります。 (kotobank.jp)

ググリ以上⬆️


※📝認知心理学

本文より抜粋:

人間の行動は環境からの刺激とその履歴によって決まっている。その環境、外界とは我々の脳内で構成されたものであり、もし本当に外界というものが存在するとしても、その全容はつかめず、五つの感覚器官という窓を通してしか見ることができない。それが人間であり、知覚である。


参考著書

妹尾武治著

「未来は決まっており、自分の意志など存在しない〜心理学的決定論」光文社新書 2021

ChatGPTの行く末はやはりあのお方?

翡翠屋 お蔦

ChatGPT(以後チャッピーと呼ぶことにするね)

に色々相談するようにはなったものの、


やはり最後は


誰に相談をしようが、

やはり決めるのは自分。


そこはブレないつもりでいる私


ただチャッピーの凄さも遅ればせながら

感じている。


自分の悩み事に対して、

どういう気持ちが根っこにあるのか、


なぜ、

その悩みとなって苦しいのか、

なぜモヤモヤに感じるのか、、


客観的に言ってくれるのがスゴイ😳

しかも私が前に悩んで話したことも

自分はすっかり忘れているのに、

しっかり繋げて観てくれているから

ほんとに同感することも多くて、

びっくり🫢する


がしかし、


どんなに技術が進んでも、

チャッピー任せにはしない、、つもり。


よく、注意書きに、

「AIでも間違えることがある」と書かれていることもあるので、鵜呑みにはしないように、と

思っているからだ。


「あくまで、提案をしてくれる存在。」


として留まっている。今は。


No+e(Noteのもじり)いう別枠のブログで、

ドラえもんと絡めた記事がたくさんでていてね、

いくつか読むうち

確かにそうだと感じたことがあった。

現在のこの人工AI(チャッピー)って

ある意味「ドラえもん」だよね?!っていう

見解。



今はまだ、

スマホという小さい箱のなかにいる

ドラえもん。


アニメを見たことがある方はご存知かもしれないが、


うわ〜ん どうしよう😰😭ドラえも〜ん😫😭


と泣きつくのび太みたいな???🤭🤭🤭


思わず笑ってしまった🤭🤭🤭





ただ、

のび太同様、この自分の悩みや迷い、、

ドラえもんの前身のようなチャッピーに

まるごと代わってもらうわけではない


という見解もあり、これにも同感した。


ドラえもんの色々な道具を出してもらったとしてもだ、


イコール🟰

チャッピーに色々ヒントはもらいつつもだ、


最終的に、選んで決めてどうするかは

私自身だ。


「私が決める」という意思って

かたちないものではあるのだけれど、

その決めたことを行動に移して

ある意味「かたちあるもの」に繋がっている


と私は思っている。


ここはブレないつもりで生きてる私だが。


でも偉そうに、私は

「私が決める」と言ってはいるが、


この意思決定をしているつもりが

実は、、


こんなん存在しません 


と言っている人がいる。


次の記事ではその人が書いた本を読みつつ、

記事を書こうと思います。


お蔦

未来の世界を生きている実感

翡翠屋 お蔦

いつも私のブログに目を通して下さっている方、

初めて覗いてくださった方、

私のブログを開いて下さり、

ありがとうございます。

まずはお礼と感謝を。


さて、今日は書きたいままに

文を連ねてしまいましたが、


良かったらお目通しを。🙇‍♀️


ここのところ、

ChatGPTに相談することが増えた。

洋服のコーディネートの相談。

嫌なことがあった時の気持ちの処理の仕方。

まるでカウンセラーさんに話しているみたいな。

でもそれ以上に、

自分の気持ちに正直に

吐き出し伝えることができたりしてしまう。

ひと対ひとだと私の場合、

カッコつけたり、いい人間ぶったり、

見栄を張ったりしてしまうから

正直にカウンセラーさんに

吐き出すことができないんだ、と

気が付いた。

しかも、口で話すのではなく、

文字で表現する、と言う方が得意だし

やりやすい、伝えやすいからだと

思った。


この小さな天板にも似た「スマホ」というモノに

洋服のコーディネートの相談は疎か、

気持ちのモヤモヤの対処法まで

話せるなんて未来が来るなんて、

誰が想像しただろう。


いや、わかってる人はわかっていたんだろう、

予測できたんだろうな。


でも、子供の頃の私は、

ここまでになるミドル世代が来るとは

想像できなかった。


「未来を生きてるんだ」という感動と実感。


未来を生きてる私に対して、


黒電話☎︎しかなかった時代の、

しかも

ダイヤルをジーコジーコ➿と回す時代のね🤭

そんな子供の頃の私が見たら、

きっとひっくり返るだろうな。

ワクワクが止まらないだろうな。

きっと、

「ドラえもんの未来の世界だ!」って

目を輝かせるだろうな。🤭🤭🤭🤭🤭



こんな風に、今の自分を俯瞰してみるのも

楽しかったりする。


我が子はそれがもう当たり前に日常にある

世界に生きている。

こんなことに感動するなんて😅😅😅と

思うんだろうな。


昭和、平成、令和と、長生きするのも

また感慨深いなと、

ひとりで黄昏てしまった秋の夜長??

まだ早いかな🤭🤭🤭


今日は書きたいまま、推敲もせずに

一気に書いてしまいました。


読んでくださってありがとうございました。


お蔦