かたちないもの〜目には見えないけれど大切なものを探して

「かたちあるもの」の中にある、目には見えないけれど大切な何かを色々な方角から、色々な目線から、思いを巡らせて書き綴るエッセイ風ブログです。

近所の梅の屋(待合茶屋)

翡翠屋 お蔦

晩年、

国芳が住んでいた玄冶店(げんやだな)。

(現在:中央区人形町3-8あたりとされる)


このすぐ近所、

同じく人形町通り沿いにある長谷川町には

鶴寿が経営する「梅の屋」という、

待合茶屋(場所貸し)があったそうです。


地図にあるように、歩いてすぐですね。🚶‍♀️🚶‍♂️

🟦:長谷川町〜梅の屋(待合茶屋)

🟥:玄冶店〜国芳がいた場所


江戸時代の地図


現代地図


この

「梅の屋」という待合茶屋には

狂歌師*が集まっていたそうで

場所を貸していたそうで、

鶴寿も出入りはしていたそうです。


(*記事最後を参照)


そして、

茶屋と言っても、食事提供はなく、

食事が必要な場合は

仕出し屋に注文して

宅配してもらう形だったようです。


この仕出し屋、、、という立場であると

潜入も可能であったかも??

鶴寿も狂歌師であったことから

「反幕を意味するものを作っていないか」

疑いの目を向けられていた可能性も

なきにしもあらず かもしれませんね。


だとしても、頭脳明晰な鶴寿。

本来、お蔦が探っているメインの事案、

「東都三ツ股の図」が謎についても

はたから見たらわからない

(難解な判じ絵なのかもしれない)。

鶴寿が作成時に関わっている可能性が高いので


即興で狂歌を詠める程の鶴寿、

反幕の意味を含んでいても、周りには

気がつかれなかったんじゃないか?


とお蔦は勘繰っているところです😁😁😁


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鶴寿の周辺もくまなく探られていたかも?

翡翠屋 お蔦

次に、

鶴寿(うめのやかくじゅ)が

生まれたところ。


千代田区神田佐久間町の地図を載せてみます。


神田川沿いに位置します。


拡大してみると....



現在の地図です。

総武線が横断するかの如く、通っています。

左に秋葉原駅、右側に行くと浅草橋駅です.


幕府直結の探偵ですもんね、

適当なことは報告できないですよね。

隠密はこの辺りもくまなく

探りを入れていたかもしれませんよね。


お蔦

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本題から少しそれますが:隠密は見た?(家政婦は見たのパクリ)

翡翠屋 お蔦

こんにちは😀

引き続き、隠密の話になりますが、


鶴寿は国芳のブレーンであること

を、隠密によって調べられていたことが

書類📄として残されています。


本題とはちょっと横道にそれますが


それについて、

少し勘繰ってみたくなりました。


隠密はどこに潜伏していたのか?


この探査書が出されたのは、

国芳57歳、鶴寿53歳の時。


この時期、国芳が住んでいたのは

玄冶店(げんやだな)」という場所だそうです。


お弟子さんもたくさん集まっていたと思います。

ではこの、


玄冶店(げんやだな) とは....どこか?

(🌟記事な最後に由来を記載)


現在の、

日本橋人形町3-8 あたりだとされています。


どの辺りだろう...まずは地図で。


現在の地図

この太い赤線🟥が、人形町通りです。

ちょうど、東京メトロ日比谷線が

通っています。

3丁目8番地の8の表記がありませんので

特定ができないですが、

9番地の手前の辺りでしょうか。


お江戸の香りがしてくる感じですね。

江戸の街並みを想像してしまいます。


それから、こちらが💁‍♀️


江戸時代と現代を重ね合わせた地図。


赤い印🟥が人形町通りです。

横の青い🟦太線が、東京メトロ日比谷線。

右斜め下が人形町駅です。


ちなみに現代の航空写真。



この辺りに

隠密はうろついていた?かも?

しれませんよね。


よく時代劇に出てくるような

修行僧のような、先の尖った(円錐形?)の笠を

被って袈裟を着ているような、、

違うかなあ🤔


潜入調査も???だとしたら

どうやって潜入していたんだろう🤔


この次は、

それから国芳のブレーン、

鶴寿が生まれたところ。


千代田区神田佐久間町の地図も載せてみます。


🌟玄冶店とは...

(げんやだな)


江戸の地名。日本橋北の横町。

幕府医師の岡本玄冶の屋敷跡で、

芝居関係の者が多く住んでいた。

歌舞伎狂言

「与話情浮名横櫛よわなさけうきなのよこぐし」4幕目の源氏店げんじだな妾宅の場の俗称。


(コトバンクより抜粋)


お蔦

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