晩年、
国芳が住んでいた玄冶店(げんやだな)。
(現在:中央区人形町3-8あたりとされる)
このすぐ近所、
同じく人形町通り沿いにある長谷川町には
鶴寿が経営する「梅の屋」という、
待合茶屋(場所貸し)があったそうです。
地図にあるように、歩いてすぐですね。🚶♀️🚶♂️
🟦:長谷川町〜梅の屋(待合茶屋)
🟥:玄冶店〜国芳がいた場所
江戸時代の地図
現代地図
この
「梅の屋」という待合茶屋には
狂歌師*が集まっていたそうで
場所を貸していたそうで、
鶴寿も出入りはしていたそうです。
(*記事最後を参照)
そして、
茶屋と言っても、食事提供はなく、
食事が必要な場合は
仕出し屋に注文して
宅配してもらう形だったようです。
この仕出し屋、、、という立場であると
潜入も可能であったかも??
鶴寿も狂歌師であったことから
「反幕を意味するものを作っていないか」
疑いの目を向けられていた可能性も
なきにしもあらず かもしれませんね。
だとしても、頭脳明晰な鶴寿。
本来、お蔦が探っているメインの事案、
「東都三ツ股の図」が謎についても
はたから見たらわからない
(難解な判じ絵なのかもしれない)。
鶴寿が作成時に関わっている可能性が高いので
即興で狂歌を詠める程の鶴寿、
反幕の意味を含んでいても、周りには
気がつかれなかったんじゃないか?
とお蔦は勘繰っているところです😁😁😁
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