お蔦です。
国芳スカイツリーのなぞを
改めて原点に戻って推察を
始めました。
初めて記事を覗いて下さった方のため、
再度、国芳スカイツリーって何?
どんな作品に描かれて噂になったかを、
以下リンクを貼ってみました。
ご興味ありましたら、
以下のBIGLOBEのニュース(2024.2)にて、
作品の画像をご覧になれます。
東京スカイツリーなんじゃね?と
国芳スカイツリーと呼ばれて噂になった作品
お江戸の時代に実在した浮世絵師、
歌川国芳が、
この「東都三ツ股の図」を作成するに至り、
前出した、パトロンの鶴寿が、
どこまで何を提案したかはわからないですが、
あのバカでかい塔=通称:国芳スカイツリー
(東京スカイツリーなんじゃね?と噂されたもの)
これを、最初は
映像(明晰夢みたいなものか?)として、
あの江東区佐賀町方面に見た。
距離感からして、
佐賀町にあったのか、
延長線上の、もっと遠くに
その塔を見たのかは不明だが、、、
なぞのバカでかい塔=国芳スカイツリー
三ツ股から1度目に見えたのは、
この赤い矢印線🟥➡️のどこかの位置に
見えたんじゃないかと推測
お蔦が想像するに、
佐賀町ではなく、
延長線上のもっと離れた場所に
あったんじゃないかと推測していますが...
彼らどちらか、または2人とも?なのかは
わからないが、
なぜか2度目にも、
全く同じ塔の映像(明晰夢)を見た。
全く同じバカでかい塔、、、2回もなぜ??
なんだこれ??
2度目に見たのは
あの押上地区に建っている風景
であった。
もしかして、
ふたつの場所に見た塔。
どの位置からみているのかも、
もしかしたら、
1度目の佐賀町方面の塔と、
2度目に見た押上地区に建つ塔では
双方では違うんじゃないか??
その可能性も視野に入れて
推察中です
なぜかまではわからないが
ふたつの映像(2回にわたる明晰夢)=未来予測。
(明晰夢だったかどうかはお蔦の推測)
これは、、、
鶴寿が見たものであり、
国芳に提案し、
国芳が作品化したものの可能性も
ゼロじゃない。
国芳は鶴寿のどんな提案にも応じられるくらいの腕(技術)を持っていたというから。
という考え方もあるんじゃないか???
余りにも高い塔の正体はなんなのか?
国芳にも鶴寿にも想像がつかないが、
あれは未来予想図なんじゃないか?ぐらいは
感じていたのかもしれません。
鶴寿が風水の知識があったのかは、
調べで見なければなりませんが、
もしも知識があったり、ましてや
詳しかったのだとするならば、
なぜ、
江戸城から見た鬼門の方角に
建っている映像(明晰夢)を見たのか?
あれは、
江戸城をお守りする塔なのか、
その逆のものなのか、、、
などと、
不可解だったのかもしれません
なぜ2度も同じ塔が違う場所に
見えたのか?
不思議でならないが、作品に
したためなければと、
強い気持ちが芽生えたのではないか??
とお蔦は推測しています。
じゃあ、どう作品にしのばせたらいいのか?
2度目に見たであろう
バカでかい塔の映像?(明晰夢)は、
今、私たちがよく知る
建っている押上地区にある東京スカイツリー、
あの塔が江戸城から見て、
「鬼門」の位置にあったこと。
江戸城より高いということろが
作品作りを難航させたんじゃないか?
と推測しています。
なぜなら、
あんなに高い塔などそのまま描こうものなら、
たちまち怪しまれて、
取り調べを受けるハメになる、、
その事に対しても、
警戒したかもしれないからです。
当時、
江戸城より高い建物を建てるのは
タブーとの事ですから。
江戸城を楽々と見下ろせるなんて、
かなりまずいですからね。😰😰😰
ましてや、
「謀反」なんて判断されようものなら、、😳
どんな重罪を科せられるか、😱
わかったもんじゃねえ、、、
命だって奪われかねない😰😰😰
ってなもんでしょうね。
歴史に詳しくないお蔦でも想像がつく事です。
三ツ股と呼ばれていた場所
現在の隅田川テラスあたりがそれです
三ツ股と呼ばれていた現代地図、こんな感じ
少し🤏拡大
この、
三ツ股と言われる位置から見た、
隅田川と人々と町の風景作品
というのが、表向きの作品説明。
版元にも奉行所にも絶対にバレない。
だって、風景画だもん
というのを主張できる。
尊敬してやまない、偉大な北斎さんだって
同じ歌川の広重さんだって、
風景画、たくさん作っているじゃないか😏
なにも怪しまれる理由はない
しかし、その実際の意味には、、、
上にあげた深〜い意味、
ダイイングメッセージが
隠されていたということになりそうな
雰囲気になってきています。
まだ続きますが、、とりあえず一区切り。
読んでくださってありがとうございました♪