お蔦です。
やはりここ河内屋においても
鶴寿の「国芳をプロデュース」
この手腕が発揮されていたと思います。
この河内屋での書画会について、、
畳三十畳ほどの紙を敷いて とか
墨を浸して〜 とか
紙が広過ぎて手間がかかっている様子 など
国芳の描く姿そのものを
かなり具体的に書いているのを見ると、
やはり
その場にいたんだろうと推測ができます。
単に、
人から聞いたものだとしたら、
国芳は広大な紙を敷いて
水滸伝に出てくる人物を描いた
裸になって描いていた 程度の
端折った書き方になるんじゃないか?と
感じました。
隠密は見ていた しかもすぐ近くで。
この後
そのままの文を載せてみます(⚫︎を参照)
⚫︎浮世絵事典より
畳三十畳敷程之紙中え、
水滸伝之人物壱人みご筆ニて大図ニ認、
隈取ニ至り手拭え
墨を浸シ隈取いたし候得共、
紙中場広にて手間取候迚、
着用之単物を脱墨を浸、
裸ニて紙中之隈取いたし候間、
座輿ニも相成、職人之内にては、
下俗之通言きおひもの杯と申唱候由
こちらには河内屋の様子が、歌川広重によって
描かれています。
お蔦です
11/29の記事
(国芳一門に潜入捜査の手が入った?)を
さらに深掘りしてみました。
嘉永6年(1853年)6月24日。
両国柳橋の割烹料理屋の河内屋(かわちや)
と言う場所で、
鶴寿主催の書画会を開いたそうです。
国芳がこの書画会において
水滸伝の巨大な絵を見事に描いてみせた
とのこと。
まずは、
この河内屋(かわちや)があったとされる、
両国柳橋の広範囲の地図🗾です。
総武線の浅草橋駅の斜め右下の
赤い丸⭕️が柳橋付近です。
🟪が国芳がいた玄冶店(げんやだな)
ちなみに
青い四角🟦が鶴寿の家がある佐久間町。

柳橋を少し拡大

さらに拡大図
(こちらは江戸時代と現代の地図を重ねたもの)
河内屋の場所は
柳橋を渡った
両国橋西側あたりだったそうです。

この書画会の鶴寿・国芳の様子が
『大日本近世史料』
「市中取締類集」二十一「書物錦絵之部」
p129)に詳しく書かれています。
長いので、次の記事に続けます。
すみません🙇♀️
国芳が晩年住まいとしていた、
玄冶店(げんやだな)
地図上の位置を誤って示してしまいましたので
お詫びして訂正します。
ちゃんと「玄冶店」🟥という表記が
あるのに気がつきませんでした。
こちらです。💁♀️
(鶴寿の梅の屋:長谷川町🟦)

東京メトロ日比谷線、
人形町駅のA4出口のすぐそばにあります。
それから、鶴寿の梅の屋が長谷川町に。

人形町通りは確実に、
隠密がうろついていたでしょう。