国芳のナゾを0.0000....1%くらいの僅かな確率に当てはめてみたら..
お蔦です。
前置きが長くてすみません🙇♀️
あの謎の塔は、井戸掘り櫓説が有力。ただ、
「国芳がそれをどういう理由で」
モチーフにして描いたか、
ということに対しては、
もしかしたら、、、
「単なる櫓の描写」という見方は
100%ではないかもしれませんよね?!
(無理やり過ぎますかねえ) でも、
もしも!もしもです、
この説が100%ではないとして、
残りの0.00000....1%くらいの、
わずかな確率を、
やはり現代に建てられた
「スカイツリー」だったんじゃね?説
と仮定するならば、、、
話題になり始めたのは、
スカイツリー完成に向けて、完成してすぐ
2011年〜2012年くらいからですが、
その後も、
沢山のブログで取り上げられています。
どのブログも興味深く面白いです。
こちらは、
さきの記事でも挙げたBIGLOBEニュースです。
1831年に描かれたとされる「東都三ツ股の図」に関する、ごく最近の2024年の記事。
国芳の「東都三ツ股の図」に出てくる、
この川は隅田川
右側の大きな橋は「永代橋」
向こう岸に見える「火の見櫓」「謎の塔」。
この向こう岸は
江東区佐賀町河岸通り〜上流へと続く河岸へ続いているもの、と推測されます。
この0.00000....1%のありえないような
可能性を、
考察...とまでの立派なものではないですが
ありえないだろうこととは言え、
実際の隅田川沿いにある佐賀町や、
隅田川に架かる橋周辺を、
国芳が当時、
どんな場所をモデルに描いたのか、
作品として「独自目線・独自のアイデア」が
あるにしろ、やはり
実際に国芳が足を運んだであろう、
このあたりを
この足で歩き、
この目で見てみたくなりました。
屋形船、隅田川をゆく
続きます
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。