国芳の描いた町の、人気の和菓子店
国芳スカイツリーの作品と、ほぼ同じ場所。
と思われる風景画が
あるんです。
一つ前の記事に取り上げました、
「観光高札 油堀跡」の中の、
斜め左下にある絵。
「菓子話船橋 (かしわふなばし)」
を取り上げてみます。
これ、なんの絵?と思いますよね。
当時、船橋屋織江(ふなばしやおりえ)
という和菓子の人気店があったそうで、
菓子話船橋というのは、
このお店で出した
現代で言う、レシピ本という感じでしょうか、
この絵は、
そのレシピ本の挿し絵なんだそうな。
江東区深川江戸資料館の資料館ノート
(第20号:平成11年3月16日発行)の
「江戸の菓子」によりますと、
「菓子好きな素人向け」に作られたものだったそうです。
創業は、
文化年間(1804〜1818年)の初め頃で、
練り羊羹が大人気だったそうです。
食べてみたかったなあ😋
詳しくは「東京都立図書館」のHPにて。
これだけの人気店の船橋屋さんを
国芳も知らないはずはないですよね。
こちらのレシピ本の挿し絵は、
写実通りだという見解が強いようです。
これ⬇️船橋屋さんのお店の位置ですね🧐
ここで、
とても興味深いブログの記事に
辿り着きました。
許可を頂きましたので、
引用とリンクを貼らせて頂きました。
馬場さんの記事によると、
佐賀町2丁目9番地あたりに船橋屋さんが
あったようで、
船橋屋さんではお店独自で井戸を掘っており、
その水を使って製菓をしていた事が、
2007年の発掘調査でわかっているそうです。
すごいですよね!
敷地内とされる場所に4基もあったとか!
調べてみました。
佐賀町2丁目9番地の地図です。
(Yahooマップに橋の名前も記しました)
一度、挿し絵を振り返りますと、
船橋屋さん🟨 そして
火の見櫓🟥と下之橋🟦と永代橋🟪
🫲左手川沿いに行くと上流:浅草方面
🫱右手川沿いに行くと下流:佃島方面
となっています。
ちょっとだけおまけ画像を、、
令和の佐賀町河岸(さがちょうがし)の風景
永代橋:当時とは位置が少し違います:
アプリ(大江戸今昔巡り)より。
江戸時代と令和時代を重ね合わせで
表されています。
江戸時代では、
豊海橋を↗️斜め右上に渡った場所に
架けられていました。
Yahooマップに戻ります。
船橋屋さんの挿し絵にある火の見櫓🟥は、
大体ですが、この辺りかなと、、
地図をもう少し拡大して、
🟥印を付けてみました。
船橋屋さんの挿し絵を元にして、
Yahooマップ上で
船橋屋さん・火の見櫓・下之橋の位置関係、
当てはまりました。
繰り返し記載になりますが、
🟦下之橋も油掘も、現在はありません。
ここは現在は埋め立てられていて、
ほぼ頭上には立体道路が通っており、
隅田川にかけられているのは
「隅田川大橋」です。
(一つ前の記事に画像載せてあります)
※ここでは省いていますが「下之橋」の他に
「上之橋」「中之橋」という橋もあり、
佐賀町河岸通りに連なるように架かっていました。後で必要が出てきたら記そうかなと思います。
しかしなあ、、
今はなき船橋屋さんの練り羊羹、
食べてみたかったなあ。
代わりにと言ってはなんですが、
江戸の人も食べていたという
「二八そば」を食べて、
一区切りしようかと思います。
蒸し暑い日には最高、冷たいそば。
わさびをちょちょいとつけて。
長丁場となりますが、良かったら
次もお付き合い頂きたく存じます♪
お蔦
参考文献
馬場紘二「歌川国芳 スカイツリー画像」考
轟亭の小人閑居日記 2016年11月17日
参考資料
江東区深川江戸資料館の資料館ノート
(第20号:平成11年3月16日発行)
東京都立図書館
7.菓子話船橋
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