かたちないもの〜目には見えないけれど大切なものを探して

「かたちあるもの」の中にある、目には見えないけれど大切な何かを色々な方角から、色々な目線から、思いを巡らせて書き綴るエッセイ風ブログです。

(少し訂正と加筆)おばば様のおばば様 好きな人が150年先の未来人だったら?

翡翠屋 お蔦


お蔦です。


分かりづらい点がありましたので、

少し訂正、そしていくつか加筆しました。


私の高祖母(こうそぼ:祖母の祖母)の話を

します。


「カネさん」「ムメさん」

 

カネさんは、

娘のセイさん(曽祖母)の産みの母。

万延元年1860年生まれです。

明治時代(1868年:明治元年)が始まる8年前。

カネさんは、

30代前半で出産していて、

私も30代ギリギリ半ばで

産んでいるので、

何か親近感あります。☺️


ムメさんは、

セイさんの養母です。

20歳の時に養女になったそうです。


ちなみにセイひいばあちゃんは

私が7歳くらいまで生きていて、

きれいな白髪で穏やかで。

私は曽祖母にとても懐いていました。

時々、祖母のところに遊びに来ていて、

一緒に温泉旅行もしたんですよ☺️


これ、何で知っているかというと、

土地関連の相続か何かの、

証明の為に取り寄せた戸籍から

分かったんですよ。


1番前の祖先は、

江戸時代・幕末:

安政4年(1858年)生まれの重蔵さんがいます。

セイさんのお父さんです。

😳😳😳

江戸時代生まれの祖先の具体的な事が知れて、ワクワクしました。

だって「安政の大獄」があった時の人なんて、なかなかそんな文字にすらお目にかかれないですもんね。会ってないけど、そんな感覚。


重蔵さんが生まれた年に作成された、

歌川広重作 大判錦絵

安政4年(1857年)

おおはしあたけの橋

(浜町と深川を結んだ新大橋)

↑撮影OKの作品だったものです。


ムメさんの事(祖母の祖母)

祖母は生前、

同居していたムメさんを「おばんちゃん」

呼んでいましたっけ。

カネさんのところにも

遊びに行ったりしていたようです。


今回は、曽祖父母の上の祖先、

おじいちゃん、おばあちゃんの呼び方を

調べてみました。


先ほど挙げた

カネさん、ムメさんは、

つまり私から見たら

「高祖母」


それ以上の前の祖先の呼び方


「天 祖父母」:天祖父・天祖母

「烈 祖父母」以下同じ使い方

「太 祖父母」

「遠 祖父母」

「鼻 祖父母」


という字(名称)なるそうです。

この高祖母以上は

中国で呼ばれている言い方

だそうです。

なので中国語読みはわからないのですが、、、


日本では 

特に決まってなくて、

高祖母のお母さん、、みたいに呼んだり、

単に高祖父の父母、高祖父母の5世の祖、

5代前の〜6代前。、6代前と呼ぶみたいです。


「鼻👃」って、何か不思議🧐😁

でも中国語でも意味はそのままみたい。

ほら、中国語って

日本語と同じ漢字でも

意味違う場合があるじゃない

ですか。「手紙」とか。

何か「遠」よりもまたその先を

連想するものなのかと思っていました。


「JIN-仁」の中で、

仁先生が身を寄せていた旗本の、

お嬢様の咲(サキ)さんが、

仁先生に、

150年位先の時代から来たと言われ、

密かに、仁を慕っている咲さんが

「私は、おばば様のおばば様くらいでございますね😳🤭😦」と

驚きと、はにかみと、

ちょっとショックを感じている

シーンがありました。 


好きな人の高祖母と同じくらい

って、やっぱりガックリ

しますよね😅


カネさん、ムメさんは

私から見た

「おばば様のおばば様」

私の玄孫(やしゃご)から見たら、

私も

「おばば様のおばば様」


次は子孫(未来)方面に

焦点を当てて書いてみようと思います。


 つづく

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江戸時代の旅人が行き交う道にて

翡翠屋 お蔦

お蔦です。

心の中でタイムスリップしてきました。


ウチの近くには

お江戸に繋がる国道が

通っています。

ある時、散歩していたら、

墓石?礎石?のような、

大きくはないものの、

がっしりした長方形の石が建てられています。


よく見たら、

お江戸へ向かう旅人の為の

「道標」でした。

今で言う、「標識(青看板)」ですね。


これを目安にして、

旅人はお江戸を目指して

ここを歩いていたのかな、

はたまた、

江戸時代の佐川急便さん(飛脚)

の人も走っていたのかな?🏃‍♀️💨

とイメージすると、

ワクワクしてしまいました。


この場所から日本橋まで、

直線距離ではないので、

単純比較はできませんが、

電車で約1時間、、、かかる距離。

ここまで行くにも、大抵の人は徒歩。

すごいですね。


お江戸日本橋。

(こちらも美術館公認の撮影🆗作品)


その同じ国道には、

宿場町だった町もあり、

旅籠(はたご:今で言う宿泊施設)が

あったみたいです。


現代の人に比べて、

かなり歩いたでしょうから、

骨休めもしていったのでしょうか。


逆に、

江戸時代の人が、

今のこの風景(立体道路を走る

車やトラックを見たら)

どんな反応をするんだろう、、

なんて想像するのも

楽しくて、、、

「飛脚は未来にも存在するんだ」

と驚きますかねえ😁


読んでくださって

ありがとうございます😊

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浮世絵を観ながら お江戸にタイムスリップ

翡翠屋 お蔦

お蔦です


浮世絵は、

お江戸の時代に

タイムスリップしたような

気持ちにさせてくれます。


浮世絵には、有名な、

日本各地の風景を描いたものが

たくさんあります。

※以下に作品名記載


必ず富士山🗻が出てきます。



今のような高い建物はないし、

今ほど遮るものはなく、

富士山🗻が見えるところはたくさんあったのでしょうね。

故郷の北関東にも、

「富士見町」という地名があり、ここからも見えたようです。

今住む土地(別の県ですが)からも

富士山🗻の雪を被った頭が見えます😁(富士見町ではないですが)


長野県

静岡県

愛知県

のいくつかの富士見町と名のつく

土地からも、富士山🗻が

見えたようです。


浮世絵師

※東海道五拾三次

(安藤広重=歌川広重)

※富嶽三十六景(葛飾北斎)


追伸:広重さんは、元々は

下級武士、そして火消し同心。

いわゆる、

消防士さんだったんですって😀

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