❺東京スカイツリーの世界線・国芳スカイツリーの世界線
お蔦です。
東京スカイツリー建設時期について記します。
2008年7月14日 着工:基礎工事始まる
2012年2月29日 竣工
2006年に、押上地区に決定して、
建設の許可を得て、
2008年建設が開始しました。
完成までの間、
2009年11月23日に◯◯研究施設での実験が
行われています。
これを機に、
押上の世界線に移っていたのかもしれない。
と推察しています。
2009年11月23日以降から2011年の国芳展開催前の準備期間までのいずれか?
ただ、何年にどういう変わり方をしたのか?
というのは推測がつかないです。
便宜上、
世界線が移る、変わると記していますが、
「私たちの意識」というものが関わっているとも
思えます。
後々、色々な事が解明されたなら、
この表現も変わるのかもしれませんが、
まだわからないですね。
私たちは、
目に見えない何か大きなもの(集合的無意識)に
動かされているのではないか?
なんて考えると、
ちょっとワクワク感があるのは
私だけでしょうか?
候補地の中で、
押上同様、
江戸城(皇居)から見て鬼門(北東)の位置の、
「隅田公園」もありました。
鬼門封じの域には入るものの、
「夏至の日のレイライン」には入らないんですよね😳本当にギリギリ入らないんですよね😳
平成の世の様々な事情も潜り抜けて、
「押上」の世界線が選択されたかのような😳
黄色い線が、鹿島神宮から伸びて、
霊峰「富士山🗻」とも繋がっている
夏至の日のレイラインです
拡大図⬇️(丸ポチ見づらくてすみません)
隅田公園だとレイライン上に乗らない
(ほんのちょっとの位置の違いなんですが)
皇居=かつて江戸城
⬅️🔴東京スカイツリー
さらに拡大図⬇️
再度、
夏至の日のレイライン
マンデラエフェクトと言えば、
前の記憶の世界線で目にした地図など、
いくら昔のものであっても、
現在の世界線のものにガラリと変わり、
なかなか残らないもの。
私も認識していたオセアニア地域(オーストラリアとニュージーランド)の地図には
出会えません。
こう言う風だったよね?と
擬似的・二次的に作られたものでしか
説明できません。
では、
国芳スカイツリーの
「東都三ツ股の図」の作品が
なぜ残っているのか??は、
次の記事で推察して行きます。
あるブロガーさんの貴重な記事があります。
ブロガーさんから、掲載の許可を
頂いていますので、宜しかったら
覗きにおいでください。😀
さきほどの、
東京スカイツリー候補地に関しての、
解説のリンクを掲載しておきます
読んでくださってありがとうございました。
これ以降は細かいところをも含めて
掘っていきます。
お蔦
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