日常生活がパラレルシフトの連続??
国芳スカイツリーの位置にある世界線のまま、未来を迎えていたら、
現在の墨田区押上の東京スカイツリーのような
「皇居(江戸城)を守るような結界はなかったかもしれない」
ただ、国芳スカイツリーの世界線であっても
江戸城を守る為の結界は張られているだろうから、そちらはそちら独自の結界があるのかもしれない
元いた世界線から、
無限にある別の世界線へ移る、、、
と表現するとSFみたいな雰囲気になりますが、
私たちは、
一瞬一瞬を、選択しながら生きている
と考えると、、
常にパラレルワールドを移動しているとも
捉えられそうです。
あの時、たまたま寝坊してしまい、
いつもの時間の電車に乗り遅れて、
次の電車に乗ったら、
思いがけない人に会って、
人生が思いがけない展開になった、
普段どおりの時間に乗っていたら
その人には会うチャンスすらなかったし
今私がここでこうやって暮らしていないかもしれない、、とか、、、
ほんの5分、10分の差で、、、
とか、、多かれ少なかれ、
あの一つの選択で、、、ってないですか?
大きなものから小さなもので、、
選択の数は無限にあり、
「朝ごはんは、
白米にしようかパンにしようか」
といった選択から、
もっと細かく言えば、
椅子に座って🪑まず、
コーヒー☕️に口をつけるか
スマホ📱の画面を開くのを先にするのか、
など、ほんの10秒とかからない、
ほんの小さないくつかの動作に対してでさえ、
選択の連続。
無限にあるということは、
あらゆる「可能性がある」ということであり、
コーヒー☕️を飲まない選択肢もあるし、
スマホ📱は見ない世界線もある。
国芳スカイツリーと、
コーヒー☕️やスマホ📱をどうするかの選択に、何の関連があるのか??
ちょっとずつ🤏ちょっとずつ、
繋げていきます。
ここまで、お読み頂きありがとうございます
お蔦🙇♀️
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