改訂(画像・文書追加):国芳のパトロンてどんな人か、気になりませんか?
パトロンが誰なのかを書く前にこちら。
軽く載せてみます。
江戸時代にはなかった清洲橋
中洲あたりから見た、スカイツリーと清洲橋
単純に絵にした場合、
建物に隠れているからか、
スカイツリーが手前のマンション10〜15階建くらいかな?これの約2倍に、錯覚してしまうような、、、
国芳スカイツリーもそうなのかな🤔
実際の距離感:中洲の辺りから眺めた場合
地図と比較すると、
こんなに離れている感覚がないのですが、
みなさんはどうお感じになりますか?
ではでは始めます
先の記事では、パトロンの存在のみ、
記しましたが、
パトロンはズバリ
「狂歌師の梅屋鶴寿(うめのやかくじゅ)」
イサオ俊彦さんの書籍情報。
イサオさんの苗字は
直
心 これら上下2つで一文字です
すみません 変換がわかりませんでした🙏
鶴寿さんは、1801年(享和元年)生まれ。
国芳よりも4つ年下。
国吉の作品も心意気もいたく気に入っていた。
本業は住宅用材✍️を販売店のオーナー。
遠州屋という名前で、商売をしつつ、
尾張家御用をしていたそうな。
✍️秣(まぐさ)という住宅建築用材を販売。
御用商人という感じでしょうか。
キッズ用説明簡潔により、リンク掲載
国芳の高い技術。
べらんめえ調で
火災が起きると駆けつけて火消しにも
加わっていたらしいとのこと。
豪快で行動的な人柄に感じます。
面倒見の良い親分肌な感じでもあったそうです。
そういうところに鶴寿は惚れ込んで
「国芳推し」だったんでしょう。
国芳の作品の宣伝をしたり、
イベントを開催したり、、、
マネージャー兼プロデュースもしていた感じです。
「画題も提供していた!」
東都三ツ股の図が、鶴寿の案だとして、、
あの塔、、、、
どんな画題にも対応できる国芳は、
鶴寿のアイデアを作品にしていったそうで、
作品に隠された裏の意味のアイデアも
鶴寿さんのもの???
1643年の幕府による理不尽な命令、
1807年 永代橋崩落事故。
農民の生活苦の現状。
幕政への批判も、
案に匂わせた作品だったりして、、、
仮にそうだとしても、
奉行所も気がつきようがなかった
のかもしれない。
風景画、、、、国芳スカイツリーも
うまく誤魔化せたんじゃないか、、
裏に隠れた意味は全くわからなかったんじゃないか?だから、取り調べにも、もちろんならない。とかね。
まさか、
鶴寿さんが未来予測のできる人物だった??
元は鶴寿さんが見たかもしれない
「バカ高い塔」だとしたら
また、
なんて勘ぐりたくなるのは
深読みしすぎ?
創作めいてしまったでしょうか🤣
次は、江戸の町づくりとスカイツリーに
迫ろうかと思います。
引用・参考文献
イサオ俊彦 もっと知りたい 歌川国芳
生涯と作品 改訂版
2022年9月30日
深川名物:深川めし
あさりが盛りだくさんでした😳😋
お腹いっぱいになり、帰宅しました。
読んでくださり
ありがとうございます。
翡翠屋 お蔦
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