ちょっと見て見て:国芳この世を去る時(自らの死)を知っていた?
こんにちは🌞お蔦です。
歌川国芳。
1797(寛政9)年〜1861(文久元年)
幕末の時代に生き抜いた彼の作品のひとつ、
都市伝説界隈で、「東都三ツ股の図」が
噂になっていることを知り
なぜ私が、
❶国芳スカイツリーは、
ただの井戸掘り櫓(やぐら)ではなく
表向き、
井戸掘り櫓に見せかけた、他の何かじゃないか?
❷この中に描かれている「空に連なる鳥たち」
にも意味があるんじゃないか?
やっぱり何かあるんじゃないか??
と掘り下げてみたくなったのかというと、
同じく都市伝説界隈で有名な、
コチラの作品をも!目にしたからです。👀
この記事では、
三越さんのマーケティング戦略を話題に
しています、
このお話ももちろん大変面白いのですが、
この貸し傘に描かれている、
千八百六十一番=1861番。
国芳がこの世を去ったのが1861年。
1 8 6 1???
国芳は、
何を思ってこの数字を入れたのかは
わかりません。🤔🙄
コチラはコチラで、
別個に何か掘り下げてみないと
何とも言えませんが、
色んな見方はあるかもしれませんが、、
やっぱり何かあるんじゃないか?ってね🧐
星空写真家KAGAYAさん作
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。